私の脳みそ

2006年6月12日
私の脳みそ
『1年前一緒にバイトしていた時の、あの人の名前が思い出せない。』

顔も仕草も、どんな文字を書くかも思い出せるのに、名前が思い出せない。

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別件。

『街中で偶然出会って「あ、Saya.ちゃん!ひさしぶり〜!」って言われて、なんとなく顔は見たことあるんだけど、どこでいつ会ったのか思い出せない。「私○○で一緒に働いていた△△だよ〜!」って言われても、・・・具体的に思い出せない。』

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別件。

『「△×ってヤツが、Saya.と●☆で一緒に■□してたって言ってたよ。」って言われて、その人の事いろいろ聞いてみても、思い出せない。「世の中せまいよねー。」って言われても全然誰だか分かんないし、顔も出てこない。』

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そーゆーのが重なって、なんかすごく、申し訳ない気分です。

お店に来るお客様の名前とかは1回で覚えて、次にご来店くださった時には「あ、●○さん、お久しぶりです!※★はどうなりました?」とか言えるのに。それも仕事のうちだからかな?

忘れたくないよぅ。
実際キツイですよ、この年で「思い出せない」は。
相手はウレシそうなのに、こっちは精一杯で話あわせてるようなもんですよ。サグリ入れながら。

忘れたくないよぅ。

忘れたくない事ばかり、どんどん勝手に消えていくのに、

逆に、忘れたい事は、美化して更新されていく。
辛かった思い出とか、忘れたい過去とかは、
正当化されて、綺麗になって新しい記憶となる。

忘れようと勤めるのは、それだけ思い出しているよーなもんだ。

消せっこない。

だけど、人の脳みそが、正確に全てを記憶しているとしたら、
恥ずかしくて生きていけない。
まさに『生きる事』自体が『生き恥』。

だから、人は忘れる事で救われる。

こないだお客さんと話した。
「オレの頭ン中には消しゴムが入ってるんだぜ!」(注;自信満々で。)
参照→「私の頭の中の消しゴム」http://www.keshigomu-movie.jp/
飲み始めて数時間後から、泥酔して眠って起きるまでの間は、記憶がナイそうな。
一日の4分の1がそうだとしたら、幼児期と老後をあわせてみれば、人生の3分の1くらいは記憶がナイ事になる。
大げさかもしれないけど、人の記憶なんて3分の1あればいいほうだ。

『忘却は罪である』か?

いや、忘却こそ、知能ある人間に与えられた生きる糧ではないだろうか。
いつか忘れてしまうかもしれない『今』だけど、
だからこそ真剣にアツクなってしまうんじゃないかしら。

【人の一生が永遠だとしたら、

こんなにも誰かを恋しく思ったり、大切にしようとは思わないのかも。】・・・って今日FM横浜で言ってた。
もしかしたら、コレが最後の挨拶になるかもしれないから、別れを惜しむんだよね。

なーんて事がこの小説を読んで感じた事であります。
【ニュートンの林檎by辻仁成】
http://plaza.rakuten.co.jp/justjuster/diary/200509100000
まだ最後まで読んでないけど、

・・・そんなに面白くない小説だぞー。

前ふり長!!w

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